教育委員リレーコラム

  

魂の苗床をつくり、多様な芽を育てるために ー 制度が変わる今思うこと

 
中島諒人さん写真            鳥取県教育委員長 中島諒人

魂の苗床をつくり、多様な芽を育てるために ー 制度が変わる今思うこと

米子出身の世界的経済学者、宇沢弘文さんは、「社会的共通資本」という考えを立てた。私たちの生活、生命は、実に多様なモノやコトに支えられている。そのモノやコトは、誰かが維持しなければならない。アメリカ発の市場原理主義では、すべてのモノやコトについて、市場経済に委ねるのが一番うまく行くということになる。それに対し宇沢氏は、社会の中には市場に任せてしまってはいけないものがあるという考えだ。

氏は、それを
「一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置」と定義し、「一人一人の人間的尊厳を守り、魂の自立を支え、市民の基本的権利を最大限に維持するために、不可欠の役割を果たす」
として、三種に大別する。

一つは空気や水、森などの自然環境。二つ目は道路、交通機関、上下水道、電力、ガスなどの社会的インフラ、そして三つ目に、制度資本という名で、医療、金融、司法、行政などとともに、教育制度をその筆頭に置いている。

さらに宇沢氏は、このようなものの取り扱いについて、以下のような注意を喚起する。「市場的基準によって支配されてはならないし、官僚的基準によって管理されてはならない。職業的専門家によって、専門的知見にもとづき、職業的規範にしたがって管理・維持されなければならない。」
この注意書きは、非常に重要だ。

市場的基準とは、経済効率、採算性のみを意味するのではないだろう。人気や流行、時代の気分みたいなものも含んでいよう。官僚的基準による管理とは、公権力の行使による機械的な運用ということであろう。

教育委員会制度が大きく変わろうとしている。理由はいろいろあろうが、現制度は決定が遅く、時には不適切で、責任の所在が不明瞭だということが主なそれだ。

現在の制度は、戦前戦中の反省から、非常勤の教育委員による合議にその決定を委ねている。誰か一人の考えでは動かないように制度が設計されている。そもそも、制度が前提としている社会と現在の社会状況は、大きく変わった。その意味で、制度の再設計は必要だろう。

分からないのは、状況に柔軟に、迅速に対応するために、国や自治体首長の関与を強くしようとする点だ。

戦後の教育制度の歴史は、国の文部行政を頂点とするヒエラルキーの強化、巨大化の歴史だった。画一的一斉授業の形式、生徒に「同じ」を求める管理の姿勢。それは、経済成長の中では有効だった。しかし、それは時代の変化の中、現場の弾力性や創造性の喪失を招き、結果として、社会の急速な変化への適応や創造的な人材の育成を遅れさせている。
不登校やいじめを招き、対応も後手に回る。

教育の地方分権ではなく、中央集権化が進められたのは、高度経済成長が要請したことだった。そしてその後生じた不具合。その解決をヒエラルキーの更なる強化によって乗り越えることができるのか。

ヒエラルキーの強化は、現場の意欲や当事者意識を失わせる。対応の不十分は、教育委員会も現場も反省しなければならないことが多いと思う。しかし、政治の力や、いわゆる民意注入の強化によって、本当に問題は解決するのか。現場が活性化するのか。

教育の現場は、多様な種が芽吹き育つ場だ。未来の社会で必要とされる人間を完璧に予想することはできない。現在の市場のニーズを教育現場に反映し過ぎることは、未来の社会を壊すことになるかもしれない。現場を社会から隔離しろなどと言うつもりは毛頭ない。ただ、いろいろな芽が、それぞれのスピードで育つためには、現場に政治や社会の直接の風があまりに強く吹き込むことは避けるべきだ。

宇沢氏の注意書きを繰り返す。社会的共通資本である教育は、「職業的専門家によって、専門的知見にもとづき、職業的規範にしたがって管理・維持されなければならない。」これは、社会全体にその取り扱いへの配慮を求める言葉。が同時に、直接関わる専門家に非常に厳しい注文をつける言葉でもある。

教育という制度の内部で、専門性や職業的規範をいっそう高めること。現場が徹底的にやらねばならない。法令遵守なんて当たり前。
「やりなさいと上から言われたことはやりました。結果は知りません」では済まない。専門家として、それぞれの現場で高い目標を定め、やるべきことを決め、チームとして結果を出さなければならない。
教育委員会も同様。県内のそれぞれに事情の異なる場所で、活性化していない現場では理由を探し、刺激し、必要なら仕組みを変える。質の高い実践は支援し、広め、更に質の高い実践が出て来ることを目指す。

ただ一方で、教育委員会や学校に全部任せ切りというのも、おそらくうまくない。未来の見えないこの状況で、教育を本当に意味のあるものとするためには、保護者、地域も含めてのしっかりした意見交換や実践の積み重ねも必要だろう。制度がどんな形になっても、「お上にお任せ」では、本質的な成果を上げられないのは明らかだ。話題の土曜授業も、保護者、地域を巻き込んで教育を考えるための実践の機会になればいいと私は思う。

学校や地域での多様な問題に当事者として向き合い、解決するための試みを支え、応援する鳥取県教育委員会でなければならないと思っている。

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