大賀ハスの由来

大賀ハス池と農業試験場前景  大賀ハスの花

 大賀ハスは、千葉県検見川遺跡の泥炭地層下の青泥中(地下7メートル)に、丸木船等の出土品(武蔵野博物館所蔵)とともに埋もれていた種子が、ハスの権威であった故大賀一郎元東京農工大学教授(理学博士)によって、1951年(昭和26年)春に3粒採取され、そのうち1粒が発芽したものです。それらの種子は、二千年以上前(シカゴ大学原子核研究所でのラジオカーボンテストによる年代測定結果による)の種子と推定されています。

本県に最初に大賀ハスが入ってきたのは、旧林業試験場(立川町6丁目)でした。鳥取大学が招へいして開催された大賀博士の特別講演を、当時の林業試験場職員西尾茂氏が受講したのがきっかけとなり、恩師にあたる同博士に懇請して1957年(昭和32年)に譲り受けたものです。しかし、林業試験場周辺の市街化が進み、池にはヘドロが堆積して枯死寸前となったことから、1972年(昭和47年)に農業試験場に移して繁殖したものです。毎年、梅雨の中頃になると、太古の眠りから覚めた直径20cm程度もある大賀ハスの淡紅色の花びらが、ハスの緑の葉の間にゆらぎ、訪れる人の目を楽しませてくれています。

  

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