2011年2月6日
「多鯰ヶ池」からこんにちは。北側岸辺から砂丘を背後にして「多鯰ヶ池」を望む。左側のつきだした森が弁天宮のある「大島」である。「多鯰ヶ池」南側に押し寄せる砂が「大島」を陸続きにした。撮影している地点もかつては島でなかったかと伝えられている。(「福部村誌(旧)」)明治初年の「多鯰ヶ池」の地図を見ると「大島」は島として記載してある。「先代佐々木が果樹園を開いた当時(明治35年頃:1902年頃)はまだ徒歩で尻からげで渡れた」という記述が「福部村誌(旧)」にある。北側岸辺に「風紋」を見つけた。黒い筋は磁鉄鉱(砂鉄)であろう。確かに砂丘が「多鯰ヶ池」まで届いている。風の代わりに水が「漣痕」を作ったのだ。南側岸辺に見られる岩層は砂丘の底にある岩層ではないかと言われている。北側岸辺と南側岸辺では地形が違う。「多鯰ヶ池」の秘密がある。夕景。静かな湖面が景色を映し出す。二つの太陽が照らしているようだ。「多鯰ヶ池」の周辺には古墳があることをご存知だろうか。実は「大島」にも古墳がある。遥か昔、「多鯰ヶ池」の風景は今とは違うものだった。先人達はどんな「多鯰ヶ池」をみていたのだろう。(黄レンジャー)
砂丘事務所 2011/02/06
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