自然豊かで神秘性を併せ持つ鳥取砂丘。そんな鳥取砂丘は、多くの文人たちの創作意欲をかきたててきました。鳥取砂丘には、砂丘を訪れた文人が詠んだ歌碑がたくさん建てられています。
今日は、講師の田中寅夫さんと一緒に、歌碑をめぐり、砂丘を訪れた文人達に想いを馳せました。
今日巡った歌碑を歌とともにご紹介します。
みなさんも歌碑を巡り、文人達の想いを感じながら砂丘を眺めて見てはいかがでしょうか。
(黄レンジャー)
◆有島武郎の歌碑
「浜坂の遠き砂丘の中にしてさびしき我を見出でける(つる)かも」
有島武郎は、大正12年に砂丘にやって来ました。武郎はこの歌を詠んで約1ヶ月後に軽井沢で情死を遂げたこともあって、砂丘を世に広めた一首です。
歌碑のそばには、かつての一里松が残っています。主要な街道に1里(約3.927キロ)ごとに松などが植えられ、旅人の道しるべになっていました。
◆与謝野晶子の歌碑
「砂丘踏みさびしき夢に与かれるわれと覚えて涙流るる」
昭和5年、与謝野晶子は夫の寛(鉄幹)とともに砂丘を訪れました。この歌は、友人有島武郎への鎮魂歌として詠まれました。
かつて、柳茶屋という休憩所があった場所にも行ってみました。
◆高浜虚子の歌碑
「秋風や浜坂砂丘少し行く」
昭和7年に俳誌「ホトトギス」主宰の高浜虚子一行が砂丘で吟行会を開催した際に詠まれた句です。
◆枝野登代秋の歌碑
「砂丘をいくつ越えしが波音のまち゛かにきこえて海はまだ見えず」
枝野登代秋は、現在も鳥取市で発行されている短歌誌「情脈」を昭和6年に創刊・主宰し、短歌人口の底辺拡大に努めました。
砂丘事務所 2013/10/19