平成23年度日野川の源流と流域を守る会講演会(平成23年2月24日)

演題

「日野川と邪馬台国山陰説」

講師

田中文也さん(島根県立大学北東アジア地域研究センター市民研究員)田中文也氏

邪馬台国山陰説

荒神谷遺跡の発見より古代史研究をはじめ、考古学や歴史学だけでなく幅広い学問分野からアプローチし、約10年間に及ぶ研究調査の結果、「邪馬台国山陰説・古代日本の中心は山陰地方だった」と結論するものである。山陰の歴史文化遺産や自然遺産を積極的に活用しよう。


定住の概念と古代文明の発祥 古事記と日本書紀と出雲の国の風土記の比較
大陸と交流する日本海側は表玄関、人が定住することで文明となった。古事記なども山陰地方の記述が大半

荒神谷遺跡で出現した銅剣358本   青銅器の分布図
日本の青銅器の大半は山陰から出土、3文化圏がかさなる山陰地方は文明の中心

妻木晩田遺跡 稲吉角田遺跡の線刻土器と天津神の神殿
日本一といえる妻木晩田遺跡、国譲りの象徴といえる大きな神殿が記された土器、山陰には歴史遺産が多い

日野川にまつわること

日野川のことは古事記や日本書紀にも書かれている。これらに記されている孝霊天皇と日野川もゆかりが深く、孝霊天皇をまつる楽楽福神社が多く残されている。
日野川は製鉄との関係も深い。鉱物資源や水に恵まれ、文献や鈩(たたら)の遺跡もあり、川と文明がむすびついている。

  

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