三徳山三仏寺(さんぶつじ)は、標高899.9mの三徳山にある天台宗の古刹である。
 麓に輪光(りんこう)、正善(しょうぜん)、皆成(かいじょう)の三院、そして本堂の裏の宿入(しくいり) 橋を渡ると、背後にそびえる輝石安山岩とその集塊岩の急な北斜面を利用して、 文殊堂(もんじゅどう)、地蔵堂(じぞうどう)、納経堂(のうきょうどう)、投入堂(なげいれどう) といった多数の国宝や重要文化財の建造物、鐘楼、観音堂(かんのんどう)、元結掛堂(もとゆいかけどう) 、不動堂(ふどうどう)、十一面観音堂等が建てられている。
 三仏寺の由緒は明確ではないが、寺伝によると、慶雲三年(706)役小角(えんのおづぬ) が三弁の蓮花を散らしたところ、その一弁がここに落ちたので(ほかは伊予石槌山と吉野) 堂宇を建てて修験の行場にしたといわれている。 三徳山奥の院「投入堂」は役の行者が法力で投入れたとされ、 建立方法については、今もなお謎のままである。
 平成十三年(2001)、奈良文化財研究所が行った年輪年代測定によって、 投入堂は平安時代後期(1086~1184)に建てられ、 納経堂も投入堂と同時期に建立されたことが判明した。
 嘉祥二年(849)、慈覚大師(じかくたいし)によって伽藍(がらん)が建立され、 阿弥陀・釈迦・大日の三尊を安置したので三仏寺といわれるようになったという。 ただし、慈覚大師の来山は史実には明らかではない。源頼朝、足利義満ともに同寺を尊崇し、盛時は38寺49院を数えたというが、 兵火によりその多くを焼失した。

※ 2002年発行『鳥取県文化観光事典』から抜粋

建造物

解説

国宝投入堂・愛染堂 平安後期の建立、安山溶岩流と凝灰角礫岩の接触部にできた岩窟内に建立された堂。愛染堂は東側に付設された方一間の小堂
重文納経堂 鎌倉時代の建立と推定。元々三徳山全体の鎮守として祠であったものを納経堂にした。
重文地蔵堂 化粧天井や絵模様の様式から室町時代末期の建立と推定。現在修復工事中。
重文文殊堂 地蔵堂と規模様式とも同じ。内陣の鏡天井等の意匠様式から桃山時代の建立と推定。
その他県指定文化財 鐘楼堂(鎌倉)、元結掛堂(江戸初期)、観音堂(江戸初期)、十一面観音堂(江戸中期)、不動堂(江戸末期)、本堂(江戸末期)

 



 

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