鳥取県内に何故こて絵が描かれた蔵が多いのか
農業生産の高かった鳥取では米を保管する『蔵』は欠かせない存在であり、戦後の急激な開発などに晒されなかった鳥取では鏝絵やなまこ壁が施された蔵が取り壊されることなく保存されていること、また、蔵に投資する出来る豊かさ(農業生産性)があったこと、腕の良い左官職人がいたことなどが挙げられます。平成21年の調査では鳥取県全体で約1~1.2万件の土蔵があるとされ、そのうち約300件に鏝絵が施されています。(調査時に確認できたのが300件であり、本来はもっとたくさんあるかもしれません。)大山町、琴浦町、八頭町など県内各地の農村部に多く現存しており、現在でも腕の立つ左官職人によって装飾が施されています。
鳥取県のなまこ壁
石州瓦の産地である島根県大田市周辺で盛んに行われていたこの技法が屋根瓦の流通と一緒に鳥取の現在の大山町、琴浦町あたりに伝わり、このあたりを中心に沢山の腕の立つ左官職人が沢山生まれ、鳥取は元来、米作りが盛んで、その米を保管するための蔵が農村部を中心に多く建てられたこともあって、左官職人の活躍する場が多かったのではないかと言われています。
鳥取のなまこ壁(特に鳥取県中・西部地域)には独自の発展がみられ、昔の瓦の品質が均一でなかったこともあって、平瓦の代わりに漆喰に炭粉を混ぜた黒漆喰が使われるものが多くみられます。