藤山先生(第10代日本語指導員)からのメッセージ

派遣のきっかけ

 派遣に応募する以前に、派遣者の現地での活動についての記事を読む機会があり、鳥取県から日本語学校へ教員を派遣する事業があることを知りました。その後、当時勤務していた学校の掲示板に日本語学校の募集を見つけ、子どもの頃にアメリカやメキシコに住んでいた経験から、外国の文化に興味を持っていたこともあり、応募しました。

学校での業務や村での行事に関する思い出

 学校での授業で思い出に残っていることは、当時の中学生や高校生の日本語能力が高く、日本とブラジルの違いについて話しながら楽しく授業をしたことです。また、幼稚園クラスの授業では、子どもたちと日本の童謡や手遊び歌をたくさん歌ったことが思い出に残っています。
 行事では、毎年、近隣の日本語学校で集まる学習発表会で劇をしたり、卓球大会で盛り上がりました。林間学校で、より広い範囲の日本語学校の生徒が集まって交流したことも思い出されます。おそろいのTシャツを作成し、日本語を使ったレクリエーションをしたり、書道パフォーマンスをしたりしました。ブラジルに住む生徒たちが行う、曲に合わせてダンスをしながらのパフォーマンスはさすがでした。夜はキャンプファイヤーをしたり、生徒の希望だったDJを招いてのダンスパーティーもしました。準備が大変でしたが、とても思い出に残る行事です。
 入植をお祝いする行事では、日本語学校の子どもたちと銭太鼓を披露させていただきました。

業務以外での楽しみ

 日本語学校の近くに「バール」と呼ばれる軽食やお菓子、日用品が打ってある小さな店があり、夕方になると仕事を終えた村の人が来ているので、そこでおしゃべりをしたり、一緒に日本語学校のグラウンドを走ったりしました。
 また、村の方たちが日本語学校の先生を大切にしてくださり、食事に招いてくださったり、離れた町のレストランにも連れて行ってくださったりしました。

一番の思い出

 アリアンサでの生活で一番驚いたことは、村の方々が日本語に堪能なことです。日本語学校に通う生徒の保護者の方たちは、子どもの頃家庭で日本語を使っていたこともあり、日本語もポルトガル語も自由に使っておられました。そのようなこともあり、村では日本語で生活することができました。

 第二アリアンサの隣にある第一アリアンサには弓場農場という場所があり、日本語を使う人たちが自給自足の生活をしていました。日本人の海外旅行者には有名な場所のようで、世界を旅している日本人がひっきりなしに弓場を訪れ、しばらく一緒に農作業や家事をして生活し、数日後また旅立っていかれたりしていました。

 もう一つ、日本では経験できないような大自然の中で、ゆったりとした時間の流れを感じながら過ごしたことも思い出です。


今後の派遣者に向けて

 現在日本語学校に通う子どもたちは、ポルトガル語を母国語とし、家庭でも学校でもポルトガル語を使い、日本語に触れる機会は日本語学校での授業しかないように思います。これから先大人になって、日本語を必要とする場面はないかもしれません。そのように時代が変わっても、アリアンサの方たちが必要としてくださり、日本語学校での授業を通して日系人であるという自分のルーツを知り、歴史を学んだり、日本の文化に触れたりする機会を第二アリアンサ鳥取村の方たちに届けて欲しいです。
  

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