県展の主な歩み

昭和24 年11 月

「第1回鳥取県美術工芸展」として、日本画・洋画・彫刻・工芸の4部門で、県内3 地区で開催される。後援各社から賞が与えられる。

昭和25 年(第1 回)

「鳥取県美術展覧会」に名称が変更される。

昭和26 年(第2 回)

写真、書道部門が設けられる(写真部門は第4 回展から中断)。

昭和27 年(第3 回)

この年から、「遠藤賞」(遠藤董遺徳会より)が新設される。

昭和32 年(第8 回)

審査員問題で予定を1 ヶ月遅れて開催される。

昭和34 年(第10 回)

応募作品を全て展示するアンデパンダン方式が採用される。

(昭和35 年~昭和41 年中断。)


昭和41 年5 月

県展を復活させるため、準備委員会がつくられる。

昭和42 年(第11 回)

写真部門が再び設けられ、新たに版画部門が加わり、8 年ぶりに県展が米子高島屋、米子市公会堂を会場に開催される。後援各賞は廃止され、賞は県展賞のみとなる。

昭和49 年(第18 回)

「招待作品」が「無鑑査作品」の呼称に変更される。

昭和50 年(第19 回)

県展賞を5 年間に2 回以上受けたものなど、無鑑査資格の規定を設けられる。

昭和53 年(第22 回)

県立博物館を主会場とし、倉吉、米子地区は移動展として巡回することになる。

昭和58 年(第27 回)

新たにデザイン部門が加わり、現在の8 部門となる。米子市美術館を会場に、前後期の二期制を廃止し一度の展示が可能となる。(以後、県立博物館、倉吉博物館・倉吉歴史民俗資料館、米子市美術館を会場に開催される。)

昭和60 年(第29 回)

「第40 回国民体育大会(わかとり国体)」の一環として、(財)日本体育協会・文部省等との主催で、県立博物館を会場に開催される。

昭和61 年(第30 回)

県展賞に次ぐものとして、各部門に奨励賞を設けられる。

平成8年(第40 回)

この年から、賞金制や県外審査員等が導入される。希望する無鑑査作家の作品も審査対象に加えて8 点の県展賞(各部門1 点)が選考され、県展賞の中から大賞・準大賞が選考される。また、一般入選作品の中から奨励賞が選考される。

平成9年(第41 回)

県立博物館、倉吉博物館・倉吉歴史民俗資料館、米子市美術館の会場に加え、日南町美術館で選抜展が開催される。各会場とも入館料が無料となる。

平成14 年(第46 回)

国民文化祭の開催により、時期を延期して2 月から開催される。また、日南町美術館の選抜展は中止となる。

平成15 年(第47 回)

この年から「鳥取県総合芸術文化祭主催事業」として開催される。

平成16 年(第48 回)

この年から希望者に対して審査が一般公開される。

平成17 年(第49 回)

希望する応募者に対して審査結果を口頭開示される。

平成18 年(第50 回)

審査方法が改められ、県外審査員と県内審査員の合同審査となる。口頭開示内容が拡大される。

平成19 年(第51 回)

大賞・準大賞制が廃止され、奨励賞受賞点数が増やされる。また、一般応募者が審査対象に限定された。

平成20 年(第52 回)

開会式当日に審査員と鑑賞者の意見交換会を試行実施。

平成21 年(第53 回)

審査員と鑑賞者の意見交換会を本格実施。

平成22 年(第54 回)

より多くの作品が展示できるよう一部部門で作品規格を見直し、審査結果の開示方法を口頭開示から書面通知に変更。
  
  

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