教育委員リレーコラム

  

「感動力」に水をあげよう

鳥取県教育委員会 委員 中島諒人

 

 感動する力は育てなければ衰えてしまうものらしいのです。生まれた時にはみんなそれをもっているのですが、その芽は刺激し栄養を与えなければしおれていってしまうものなのです。

 感動する力。それは、未知のものに出会った時に、まずは心に受け入れて、その初めての出会いを新鮮に驚く心の姿勢です。生まれた時にはみんなその力を持っています。赤ちゃんが非常に短時間に言葉を習得し、社会に適応できるのは、恐らく彼らが未知の世界との出会いを喜び、それに全身をふるわせているからです。恐怖の感覚と同様に人間が原初的にもっているものかもしれません。

 私は演劇のワークショップ(体験型の教室です。ゲームなどを通じてコミュニケーションのツボを知ってもらったり、お芝居をいっしょに作ったりします)で、多くの小学生に会います。その子どもたちの中に、非常に無気力な姿を見ることが少なからずあります。
高学年になると年齢的なものもあって、表情と内心には違いがあることもあるでしょう。自分が同年齢の時を考えて、わからないでもありません。が、それにしてもこの無表情さ、だるそうな感じは何なのかと不思議に思うことがあります。

 「わからないもの」に出会うことが感動を呼びます。私たちは「わかるもの」だけで満足してしまいがちです。が、極論するなら「わかるもの」との出会いは人を育てません。「わかるもの」はすでに我々の中にあるもので、それとの出会いでは、私たちは何も学べないからです。「わからないもの」だけが人を大きく成長させてくれます。この未知との出会いを、持続的な学びの過程へと導いてくれるのが感動です。この「感動力」が衰えているとするなら、これはたいへんな問題だと思うのです。

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