2011年2月15日
多鯰ヶ池からこんにちは!「多鯰ヶ池」の「大島」には,「お種子弁天」がまつられており、「稲葉佳景無駄安留記」の絵図面の「大島」には「弁天」という記載がある。
宮内の碑文によると「早州江ノ島の弁天を勧請したもの」という伝がある。弁天信仰の歴史は古く、もともとはインドの河神であることから、水辺、島、池など水に深い関係のある場所に祀られることが多い。仏教的信仰の対象でもあった。 明治の初め、「江島神社」は神仏分離によって仏式を廃して神社となった。以前は寺院としての性格が強かったらしい。安政5年(1858年)に編纂された「稲葉佳景無駄安留記」の絵図面に、「弁天」の記述があるということは、明治の前から勧請されていた「多鯰ヶ池」の弁天様は、「仏様」のようだったかもしれない。弁天様は、いつ頃、なぜ、神奈川県の「江ノ島」からやってきたのだろう。まだまだ、たくさんの謎がある。これからも「多鯰ヶ池」にまつわる伝説や言い伝えをとりあげていく。「多鯰ヶ池紀行-伝説を追う-」の始まりである。(黄レンジャ-)
砂丘事務所 2011/02/15
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