第3回国史跡青谷上寺地遺跡土曜講座を開催しました!

今年度の国史跡青谷上寺地遺跡土曜講座では、鳥取西道路建設に伴って発掘調査が進められている青谷上寺地遺跡周辺の遺跡の最新調査成果なども加えて、計6回の講座を開講します。弥生から古代にかけての人々のくらしや他地域との交流などにについて、職員が分かりやすく解説しています。
  

第3回 下坂本清合遺跡の弥生時代の焼失住居

第3回国史跡青谷上寺地遺跡土曜講座を9月5日(土)に開催しました。
演題は「下坂本清合遺跡の弥生時代の焼失住居」、講師は、当センター発掘事業室調査担当 文化財主事兼係長の高橋章司が務めました。
下坂本清合遺跡(鳥取市気高町)で昨年見つかった、屋根や壁が焼け落ちて炭になって残っていた弥生時代後期の竪穴住居跡。焼失住居の中では全国屈指の保存状態の良さで、竪穴住居の上屋の構造を研究する重要な材料です。今回の講座ではこの遺構の徹底解明に挑み、弥生時代の竪穴住居と人々の暮らしの実態に迫りました。

講座内容のまとめ
○竪穴住居跡の床には土器などが残っていなかったので、家財道具を取り払った後で意図的に焼いたと考えられる。
○屋根には3種類の葺材(ふきざい)が使われ、屋根土がのせられていた。
○骨組みは樹木の特質を考慮しながら板、角材、丸木が作られ使用されているが、かなりきゃしゃな印象を受ける。
○内装(壁)は束ねられたカヤを斜めに重ね、その上にカヤの葉の帯を貼っている。
○床面の微妙な凹凸もよく残っており、寝床の場所や、座って作業をしていた場所、など空間の使われ方が推定できる。
○柱穴は3つ並んでおり、基本構造は三角屋根になる。

高橋氏

この他、全ての炭化物の中から81点の建築部材を抽出、ナンバリングして復元に挑んだ話なども紹介され、発掘・調査・研究がどのように進められていくのかが具体的によくわかる内容でした。また床面の凹凸から、この焼失住居に住んでいたのが1組の夫婦であり、夫の寝床、妻の寝床、夫婦それぞれの作業空間、などが推定で示され、会場の皆さんは興味深く聴き入っておられました。考古学への理解が深まると共に、興味もさらに広がったのではないでしょうか。
  

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