2012年8月17日
平成24年8月13日(月)、新鳥取県史編さん専門部会(民俗)では、鳥取市青谷町亀尻(かめじり)の盆行事を調査しました。亀尻地区では、13日の盆の入りに地区内の四つ堂(阿弥陀堂)に八注連(やしめ)竹という構造物を立てます。これは12メートルほどの竹の先に注連(しめ)を付けてこれを、8本ずつ注連を付けた8本の荒縄で固定したものです。由来は不明ですが、お盆には必ず立てることになっているそうです。
亀尻では、14日に八注連竹が立てられている四つ堂に、雲昌寺(鳥取市青谷町山田)の住職を招いて阿弥陀供養が行われ、地区の人々が四つ堂にお参りすることになっているそうです。
八注連竹は16日に盆送りが行われると撤収します。八注連竹は、若桜神社(若桜町)や大石見神社(日南町上石見)の神事にも見られますが、お盆行事での事例は珍しいため設置の様子を観察し、記録写真の撮影を実施しました。
地元でも八注連竹についての伝承がないことを惜しまれています。似ている事例などがありましたら、ぜひ県史編さん室まで御連絡ください。今回の調査に御協力いただいた亀尻地区の方々に感謝申し上げます。
![亀尻地区の盆行事が行われる四つ堂の写真](/secure/750811/yotsudo.jpg)
(写真1)亀尻地区の盆行事が行われる四つ堂
![八注連竹を固定する縄に注連を取り付ける様子の写真](/secure/750811/shime_tsuna.jpg)
(写真2)八注連竹を固定する縄に注連を取り付ける様子。8本の綱に8ずつ注連を付けます。
![八注連竹を立てるの様子の写真](/secure/750811/yashimedake01.jpg)
(写真3)八注連竹を立てる様子。縄を八方に広げて固定します。
この日は強い夕立で、残念ながら注連はすぐとれてしまいました。
![四つ堂の南側に立てられた八注連竹の写真](/secure/750811/yashimedake02.jpg)
(写真4)四つ堂の南側に立てられた八注連竹
![四つ堂の阿弥陀様に供えられた供物と花の写真](/secure/750811/amida_osonae.jpg)
(写真5)四つ堂の阿弥陀様に供えられた供物と花。 翌14日にここで阿弥陀供養が行われます。
県史編さん室
公文書館 2012/08/17
in 県史編さん室,調査
2012年8月16日
平成24年8月8日(水)、新鳥取県史編さん専門部会(現代)では、『新鳥取県史 資料編 軍事・兵事』編さんのために兵庫県立図書館(兵庫県明石市)で資料調査しました。
鳥取歩兵第40連隊は、兵庫県北部である城崎(きのさき)郡、美方(みかた)郡、養父(やぶ)郡、出石(いずし)郡、朝来(あさご)郡、宍粟(しそう)郡、神崎(かんざき)郡も徴兵管区としていました。鳥取県内にはほとんど資料が存在しないため、徴兵管区であった兵庫県内の自治体史に40連隊に関する記載の有無、記載があった場合は内容の確認をしました。
今回の調査に御協力いただいた兵庫県立図書館に感謝申し上げます。
![兵庫県立図書館の建物の様子の写真](/secure/749967/hyougokennritsu_tosyokan.jpg)
(写真1)兵庫県立図書館
![清水専門員の写真](/secure/749967/shimizu_tyosa.jpg)
(写真2)資料調査をする清水専門員
県史編さん室
公文書館 2012/08/16
in 県史編さん室,調査
2012年8月13日
平成24年8月7日(火)、新鳥取県史編さん専門部会(現代)では、鳥取県への学童疎開の実態を知るために兵庫県神戸市で資料調査及び聞き取り調査をしました。
資料調査は、鳥取県の八頭郡旧西郷村(現鳥取市河原町)と佐治村(現鳥取市佐治町)に学童疎開した、本山(もとやま)第二国民学校の資料が保存されている神戸市立本山第二小学校(神戸市東灘区)で実施しました。ここでは『学童疎開ニ関スル綴』、『学校日誌』などを閲覧し、写真撮影しました。聞き取り調査は、本山第二国民学校の元教員で佐治村への学童疎開を引率した野田文枝氏(神戸市中央区)からお話を伺いました。疎開に至る経緯や疎開先への移動ルート、疎開先での生活などを聞き取りました。
今回の調査の成果は平成25年度刊行予定の鳥取県史ブックレット15『鳥取県の学童疎開』の中で紹介する予定ですので、御期待ください。
また今回の調査に御協力いただいた神戸市立本山第二小学校の皆様、野田文枝様、澪子様に感謝申し上げます。
![神戸市立本山第二小学校の様子の写真](/secure/748438/mototamadai2syo.jpg)
(写真1)神戸市立本山第二小学校の様子
![石田委員の様子の写真](/secure/748438/konoyamadai2_shiryo.jpg)
(写真2)校長室に保管される綴類を調査する現代部会の石田委員
![聞き取り調査をする石田委員の写真](/secure/748438/nodashi_kikitori.jpg)
(写真3)野田氏から聞き取り調査をする石田委員の様子。
写真の奥が学童疎開を引率した野田文枝氏。手前は野田氏の妹の澪子氏
県史編さん室
公文書館 2012/08/13
in 県史編さん室,調査
2012年7月20日
平成24年7月12日(木)、13日(金)に近世部会で近藤家文書の調査を行いました。近藤家とは、奥日野の大庄屋をつとめ、鉄山経営を行った家です。江戸中期から昭和期にかけて、約9000点もの貴重な資料が残されています。近世だけでも約1,700点の資料があるので、目録をもとにあらかじめポイントをしぼった調査を行いました。
![資料の現物を確認する写真1](/secure/745333/dscn6207.jpg)
![資料の現物を確認する写真2](/secure/745333/dscn6208.jpg)
資料の現物を確認する様子
県史編さん室
公文書館 2012/07/20
in 県史編さん室,調査
2012年7月18日
平成24年7月16日(月)、新鳥取県史編さん専門部会(民俗)では、倉吉市大谷にある四王寺の「しほっつぁん」と呼ばれた祭りの調査しました。
かつて 「しほっつぁん」は、春祭りとして旧暦2月5日、夏祭りとして旧暦6月5日の2回行われました。現在、農始めの春祭りは旧暦2月5日に近い日、平成24年は2月24日(金)に行い、それについては3月2日の活動日誌で報告しました。今回は、田植えも終わって一段落した時期の夏祭りの報告です。
現在、夏祭りは子どもたちが参加できるよう祝日である海の日に行われています。子どもたちの神輿渡御(みこしとぎょ)や、四王寺での僧侶による読経、参加者の様子を観察調査しました。今回の調査に御協力いただいた大谷地区の皆様に感謝申し上げます。
![大谷地区自治公民館前での僧侶による式典の様子の写真](/secure/744973/shioji_kodomokai01.jpg)
(写真1)午前8時、神輿の出発前に、大谷地区自治公民館前での読経する僧侶と参列する子どもたち。
![教典で頭や肩をたたいてもらう子どもの写真](/secure/744973/shioji_kodomo_katataki.jpg)
(写真2)式典後、子ともたちは僧侶にケガをしないように、
また頭が良くなるように一人一人教典で頭と肩をたたいていただきます。
![出発する神輿と子どもの写真](/secure/744973/shioji_kodomokai_syupatu.jpg)
(写真3)公民館前を出発する神輿
今年は小学生9名で、特に高学年男子が少ないため、神輿はトラックで運ぶことになりました。
![大谷地区内を巡幸する神輿の写真](/secure/744973/shioji_kodomokai_jyunkai.jpg)
(写真4)大谷地区を巡幸する神輿の様子
![四王寺境内に到着した子ども神輿の写真](/secure/744973/kodomo_keidai_totyaku.jpg)
(写真5)午前10時、神輿の大谷地区内の巡幸が終わり子ども神輿が四王寺境内に到着
![本堂前で子どもたちが記念写真を撮影する様子の写真](/secure/744973/shioji_kodomo_totyaku.jpg)
(写真6)本堂前で神輿渡御に参加した小学生に幼児が加わって記念撮影
![四王寺本堂での式典の様子の写真](/secure/744973/shioji_shikiten.jpg)
(写真7)神輿が到着すると四王寺本堂で式典がはじまります。
![教典で参列者の肩をたたく僧侶の写真](/secure/744973/kyouten_katatataki.jpg)
(写真8)教典で参列者の肩をたたく僧侶。 これが終わると参列者に四王寺のお札が配布されて祭りは終了します。
![四王寺のお札の写真](/secure/744973/shioji_ofuda.jpg)
(写真9)配布される四王寺のお札
![大谷地区の人たちが四王寺境内に設営した出店の写真](/secure/744973/shioji_demise.jpg)
(写真10)大谷地区の人たちが四王寺境内に設営した出店。境内の式典終了後、参加者全員で楽しみます。
![四王寺境内の展望台からは日本海と島根半島も見えた風景写真](/secure/744973/shioji_fukei.jpg)
(写真11)当日は天候に恵まれて四王寺境内の展望台からは日本海と島根半島も見えました。
県史編さん室
公文書館 2012/07/18
in 県史編さん室,調査
2012年7月13日
平成24年7月6日(金)、気高町総合支所で近代・現代資料の調査を行いました。
これまでの調査では、撮影点数はだいたい1,500点前後でした。しかし今回はなんと約5,800点にもなりました。貴重な資料をたくさん撮影することができました。御協力くださったみなさま、ありがとうございました。
![資料を撮影する様子の写真](/secure/742705/dsc_0380.jpg)
(写真1)資料写真の撮影
![資料を探す西村委員の写真](/secure/742705/dsc_0383.jpg)
(写真2)撮影資料を探す西村委員
県史編さん室
公文書館 2012/07/13
in 県史編さん室,調査
2012年7月12日
平成24年7月5日(木)、民俗部会は日野高校黒坂施設で民具調査を実施しました。
ここに収蔵されているのは、平成12(2000)年10月6日に発生した鳥取県西部地震のとき文化財救助のボランティアと被災地に皆様によって収集救助されたものが中心です。大半の資料は日野町歴史民俗資料館に移動しましたが、今回はまだ移動されていない民具について概要調査をしました。
今回の調査では、民俗部会がテーマの一つとしている倉吉で生産された千歯扱きを1点発見することが出来ました。またその千歯扱きの歯(穂)の印刻を確認したところ「安政」とあり、また台木に「倉吉」の焼印もあるため、江戸時代に製作された倉吉千刃であることが判明しました。文化財を救うために活躍していただいたボランティアと地域の人々の活動があって、今回の発見につながりました。関係者の皆様にお礼申し上げます。
![日野高校黒坂施設の写真](/secure/741978/hinoko_kurosaka.jpg)
(写真1)日野高校黒坂施設
![日野高校黒坂施設に所蔵される千歯扱きの写真](/secure/741978/senba.jpg)
(写真2)日野高校黒坂施設に所蔵される千歯扱き
![千歯扱きの歯に印刻された文字の写真](/secure/741978/innkoku.jpg)
(写真3)千歯扱きの歯に印刻された文字。「安政三年」と思われる
県史編さん室
公文書館 2012/07/12
in 県史編さん室,調査
2012年7月11日
![境港市史編さん室がある境港市民図書館別館の写真](/secure/741977/bunkan.jpg)
(写真1)境港市史編さん室がある境港市民図書館別館
![境港市史編さん室の様子の写真](/secure/741977/hensanshitsu.jpg)
(写真2)境港市史編さん室の様子
県史編さん室
公文書館 2012/07/11
in 県史編さん室,調査
2012年7月5日
平成24年7月3日(火)、民俗部会は鳥取市用瀬郷土歴史館で民具調査を実施しました。
民俗部会がテーマの一つとしている倉吉で生産された千歯扱きの調査として、同館所蔵の千歯扱きの写真撮影、採寸、墨書の解読作業をしました。また同館は、冬季に行われる紙漉作業で凍えた手を温める野風呂など特徴的な民具資料を所蔵しており、それについては今後調査を進めていきます。
![鳥取市用瀬郷土歴史館の写真](/secure/740518/mochigase_kyoudokan.jpg)
(写真1)鳥取市用瀬郷土歴史館
![鳥取市用瀬郷土歴史館に所蔵される千歯扱きの写真](/secure/740518/mochigase_senba.jpg)
(写真2)鳥取市用瀬郷土歴史館に所蔵される千歯扱き
うっすらと「伯耆国倉吉町」という墨書がありました
![紙漉作業で凍えた手を温める道具である野風呂の写真](/secure/740518/mochigase_noburo.jpg)
(写真3)紙漉作業で凍えた手を温める道具である野風呂
県史編さん室
公文書館 2012/07/05
in 県史編さん室,調査
2012年7月4日
平成24年6月28日(木)、 新鳥取県史編さん専門部会(民俗)では日南町郷土資料館が所蔵する千歯扱きと、一本の丸木を刳り抜いた舟を調査しました。
日南町郷土資料館には、8点の千歯扱きが収蔵されており、その写真撮影、採寸、墨書の記録作業をしました。そのうち1点には「天保六年未閏七月吉日」の墨書がありました。倉吉博物館には嘉永7(1854)年、文久3(1863)年などの墨書がある千歯扱きがありますが、今回調査した日南町の天保6(1835)年の千歯扱きは、現在のところ鳥取県内で年代が確認できる千歯扱きでは最古のもので貴重です。
千歯扱きの採寸をする関本調査委員の様子
天保6年の墨書がある千歯扱き
![千歯扱きにある墨書の写真](/secure/739280/senbakoki_bokusyo.jpg)
薄くなっていますが「天保六年未閏七月吉日」と墨書があります。
日南町郷土資料館には、もう一つ注目する資料である刳(く)り舟があります。一本の丸木を刳り抜いてつくった刳り舟は中海でかつて使用されたソリコ舟が有名ですが、今回調査した刳り舟は形状が全く異なります。また日南町の刳り舟は全長が約374センチメートル、高さが約31センチメートル、幅が最大で33センチメートルと小振りですが、中海のソリコ舟は標準的なもので全長600センチメートル、幅が100センチメートルとかなり大きいものです。
この刳り舟は、30年以上前に日南町内の方が、どこからか譲り受けたものだそうですが、詳細については不明です。
これからも調査を進めていきますが、この刳り舟について何か思い当たることがあれば、県史編さん室まで情報をいただけるようお願いします。
日南町郷土資料館に所蔵される刳り舟
![刳り舟を舳先から見たの写真](/secure/739280/maruki_bune_tate.jpg)
舳先からをみると舟体が細いことがわかります。
県史編さん室
公文書館 2012/07/04
in 県史編さん室,調査