第57回県史だより

目次

三朝町穴鴨の安田家文書調査

「東伯耆編」の刊行をめざして

 新鳥取県史編さん事業の近世部会では、県内に残る主要な近世文書を調査し、その中から重要な史料を選んで「資料編」に収録することとしています。資料編は、県を「因幡」「東伯耆」「西伯耆」の3つの地域に分け、各地域ごとに1冊の「資料編」を刊行する予定で、3地区の内、今まであまり古文書の調査が行われていなかった「東伯耆」をまず最初に調査、刊行の対象とし、現在その調査と史料の解読を進めています。

安田家文書について

 ここに紹介する三朝町穴鴨(あながも)の安田真一郎氏が所蔵する文書も、編さん事業の中で調査したものです。

 安田家のある穴鴨は、倉吉から人形峠に向かう国道179号線と岡山県真庭市に向かう482号線が分岐する地点に位置し、古くから伯耆国と美作国の国境の要衝でした。また、この周辺の山地は鉄を多く含んでおり、江戸時代には「たたら製鉄」が行われた地域でもあります。

 安田家は、少なくとも江戸時代初期にはこの地に定着し、その後代々鉄山の経営を行った家です。安田家文書は、約700点が確認されていますが、その内最も古いものは、江戸時代初期、この地が幕府領であった1615(元和元)年に、伯耆代官の山田五郎兵衛から安田家の先祖少三郎に宛てた書状で、その中には、すでに安田家が鉄山経営に当たっていたことが記されています。安田家文書は、江戸時代にこの地域で行われた鉄山について知ることのできる、極めて重要な史料といえます。

伯耆代官の山田五郎兵衛から安田家先祖の少三郎に宛てた書状の写真
伯耆代官の山田五郎兵衛から安田家先祖の少三郎に宛てた書状

三朝町内の鉄山

 鳥取県内では、日野郡での製鉄が有名で、現在、かつての「たたら製鉄」の歴史を地域おこしに役立てようという動きがあります。たしかに、日野郡は県内で最も製鉄が行われた地域ですが、鉄を含む地層は中国山地一円に広がっており、県の東部・中部でも鉄は生産でき、三朝町を含む県中部でも、かつては盛んに製鉄が行われていました。

 三朝町教育委員会が1981(昭和56)年に刊行した『三朝のたたら』によれば、町内には204ものたたら遺跡があり、その約半分は、穴鴨のある竹田地域に所在しています。竹田地域の遺跡のほとんどは、安田家の鉄山経営に関わるものと思われます。

周辺の村との紛争

 鉄は大きな富をもたらす産物でしたが、その一方、自然環境を大きく変える産業でした。たたら製鉄に用いる砂鉄は、山を崩して、その土砂を水に流し、比重の重い砂鉄を沈殿させる「かんな流し」という手法で採取されます。したがって、上流でかんな流しを行うと、大量の土砂が下流に流れることとなり、それによって川底が高くなり、洪水時に被害が増大する恐れが高くなります。そのため鳥取藩では、日野郡以外の鉄山を一時禁止するなどの規制を行い、安田家の鉄山も一旦禁止されることとなりますが、安田家は、江戸時代初期からの由緒を主張し、例外として鉄山の経営を藩に認めさせています。藩の政策はその後変更され、鉄山が許可された後も、安田家は下流の村々との間で頭を悩ませなければなりませんでした。

 安田家文書の中に、1846(弘化3)年、下流域の村々から起こされた訴訟に対して、安田家の主張をまとめた史料が残されています。それによれば、下流域の村々は、かんな流しによる濁水によって、人や牛馬の飲み水がなくなり、病気も発生しており、これは命に関わる問題だとして、安田家等の鉄山師に対して「濁水料」を要求しています。それに対し安田家は、先祖以来鉄山を行っているが、今まで特に問題は発生しておらず、また人や牛馬の命に関わるような事例は存在しないこと、下流域が主張する土砂堆積は鉄山によるものではなく、別の山の土砂崩れが原因であること、かんな流しによって、逆に新田開発が進んで農民の利益となっていることなどを主張しています。この訴訟は仲裁によって和解したようですが、下流域との争いは、その後も繰り返されたようです。

鉄の歴史を後世に

 江戸時代の伯耆の重要な産物である鉄は、日野郡だけでなく県中部の三朝町や倉吉市関金町でも盛んに行われていました。今回紹介したのは、その状況の一端ですが、安田家文書は、日野郡とは異なる県中部の鉄山の実態を知ることのできる貴重な史料が含まれています。それらは、県内の鉄の歴史を伝えるものとして、「東伯耆編」に掲載する予定です。

(坂本敬司)

最近の活動から:平成22年度の第2回編さん委員会を開催

 2010(平成22)年12月24日(金)、本年度の第2回新鳥取県史編さん委員会を錦織勤委員長(鳥取大学地域学部教授)を中心として開催しました。

 最初に、事務局から、前年度以降の各専門部会の事業実施状況について報告しました。

 続いて協議に移り、各専門部会での議論を踏まえて、今後の編さん方針や、今年度の事業の具体的な進め方について検討しました。

平成22年度第2回新鳥取県史編さん委員会での協議の様子の写真
委員会での協議の様子

活動日誌:2010(平成22)年12月

1日
新鳥取県史編さん専門委員会(近代・現代合同)開催。
3日
資料調査(鳥取市河原町、樫村)。
4日
県史編さん協力員(古文書解読)東部地区月例会(県立博物館、坂本)。
5日
県史編さん協力員(古文書解読)中・西部地区月例会(倉吉市・米子市、坂本)。
6日
中世史料調査(~9日、群馬県前橋市・東京大学史料編纂所・宮内庁書陵部、岡村)。
10日
遺物返却(鳥取市埋蔵文化財センター、湯村)。
11日
学習院大学・岡山県連携講座(学習院大学、坂本)。
12日
民俗調査(境港市三軒屋町、樫村)。
14日
近代・現代資料調査(智頭町誌編さん室、西村・大川・足田)。
15日
出前講座(琴浦町公民館、岡村)。
21日
近世部会資料調査(湯梨浜町宇野、坂本)。
22日
遺物整理協議(鳥取県教育文化財団美和調査事務所、湯村)。
24日
新鳥取県史編さん委員会開催。

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編集後記

 年末年始は大雪になり、鳥取県内は大きな被害を受けました。被害を受けられました皆さまに心から お見舞い申し上げます。

 さて、県史事業の成果である県史ブックレットの7冊目、『満蒙開拓と鳥取県』を2月7日に刊行、頒布開始します。また4月には、ブックレット8、9が刊行される予定です。ブックレット7の詳細については、追ってホームページと「県史だより」第58号にてお知らせしますので、ご期待ください。

(樫村)

  

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