第69回県史だより

目次

鳥取でしか通じない歴史用語

 県史編さん協力員の活動については、この「県史だより」でも過去に何度か紹介したが、現在も約50名の協力員の皆さんが、鳥取藩家老日記の解読に熱心に取り組んでいただいており、毎月一度、鳥取・倉吉・米子の3カ所で月例会を開催し、各自が解読した家老日記の読み合わせを行っている。

 先日米子で行われた月例会で、協力員の中から、興味深い指摘があった。解読している史料の中に、辞書に書かれている意味ではない使い方をしている言葉がある。どうも鳥取だけの独特の用法ではないか。その例としてあげられたのが、「傍示(ほうじ)」という言葉である。

 「ほうじ」を『日本国語大辞典』(注1)で引くと、次のように説明されている。

ほうじ【牓示・牓爾・榜示】(「ぼうじ」とも)(1)領地・領田などの境界を示すために、杭・石・札などを立てること。また、その立てたもの。牓示木。牓示杭。(2)ものを書きつけて示す札。目印として書き記した札。立札。

 このように、「傍示」は全国的には、境界を示す立て札のことを指すが、鳥取で使われる「傍示」の語は、立て札とはちょっと違うようだ。たまたま手元にあった、「傍示」の語を含む史料を引用してみよう。文化元(1804)年4月15日の家老日記(注2)の記事である。

一円城院願候曲馬興行場所之儀、新茶屋傍示晒畑常忍寺後ニ而興行致度旨、右ニ付、端々辻札建、町内太鞁打セ申度由申聞、其段承届、御目附へも申聞置、且又、右役者都合十七人、内三人女役者罷越候之旨、是亦申届、右ニ付、来ル十八日より興行致し度段も申達候事、右不残御目付江申聞置。
(現代語訳)
円城院(鳥取城下の寺院、現在、鳥取市南町の宝珠院)が願い出た曲馬興行の場所は、新茶屋傍示の晒畑地、常忍寺の後ろで興行したい、その際、(鳥取城下の)端々に(興行を伝える)辻札を建て、町内で太鼓を打たせたいと申し出たので、それを許可し、(現在の警察にあたる)御目付へも通知した。また、(出演する)役者は都合十七人、うち三人は女役者であること、来る十八日から興行したいということも届け出ており、以上は残らず御目付へも通知しておいた。

 この記事は、鳥取城下近郊でかなり大規模な曲馬興行(馬の曲乗り、現在のサーカス?)が行われたことを示す面白い史料であるが、ここでは「傍示」の意味に迫ろう。文中の「新茶屋(しんちゃや)傍示」の「新茶屋」は、鳥取城下近郊の地名で、鳥取から米子に向かう伯耆街道に沿って形成された町の名である(現在は、鳥取市西品治の一部となっている)。「晒畑地」は、「晒(さら)」の「畑地」、すなわち耕作されていない「さら地」の意味であろうか。次の「常忍寺(じょうにんじ)」は、現在の鳥取市行徳(ぎょうとく)、江戸時代には品治(ほんじ)村と呼ばれる村にある寺院のことである。新茶屋の町並みと常忍寺は、距離はかなり離れているものの、当時、新茶屋の域内に含まれる田畑は、常忍寺のすぐ近くまで広がっていたと思われ、この位置関係を踏まえて考えると、新茶屋の「傍示」とは、境界杭の意味ではなく、新茶屋という町の「領域内」という意味に取るのが適当だろう。

 ここには一例しか挙げていないが、「村や町の領域内」という意味で「傍示」の語を用いている事例は数多く挙げることができる。なお、先の『日本国語大辞典』の「ほうじ」項には、方言として「町村の小区画。小字。(鳥取県・徳島県)」と記しており、鳥取県で独自の用法があることを示しており、さすがと感じさせる。ただ、鳥取県の「傍示」は、やはり厳密には「小字」のことではなく、「大字」の「領域内」という意味が適当であろう。最後に、ではなぜ鳥取県では「傍示」の語がそのような使われ方をするのか?

 江戸時代は縦割り社会であった。先にあげた史料を例にすると、新茶屋は鳥取の町の一部であり、常忍寺のある品治村は町ではなく「在」である。興行が、新茶屋傍示で行われれば、鳥取町奉行の管轄となり、品治村で行われれば在方を担当する郡代の管轄となる。常忍寺の境内であれば寺社奉行の管轄となる。どこで行われるかによって、藩の担当部署がそれぞれ変わる。しかし、町と村をはじめ、さまざまな境界では、誰が担当するのかでトラブルが生じかねない。したがって、何か起こった場合、その場所がどの「領域内」かを明確にする必要があった。藩の官僚機構が発達した鳥取藩で、縦割り行政を支障なく行うために必要とされたのが、どの「領域内」かを示す「傍示」という言葉だったのではないか。

 以上は、ブレイン・ストーミング(注3)上の仮説で、私の思いつきに過ぎない。しかし、史料を読むことによって、自然と様々な思考が頭をめぐることは事実である。これが、史料を読む楽しみの一つであることは断言できる。

(注1)『日本国語大辞典』第2版(小学館、2001)。

(注2)鳥取県立博物館所蔵。

(注3)米国で開発された集団的思考の技術。自由な雰囲気で、他を批判せずにアイデアを出し合い、最終的に一定の課題によりよい解決を得ようとする方法。

(坂本敬司)

最近の活動から:札幌市で中世史料調査を実施

 1月25~27日、北海道札幌市で古代中世担当の岡村吉彦専門員が中世文書の調査を実施しました。

 今回お邪魔したのは、もと備後国(広島県東部)の国人で、戦国時代に毛利氏に仕えていた武将の御子孫のお宅。 70点あまりの中世文書を1点ずつ調査し、調査カードの作成や写真撮影等を行いました。

 貴重な古文書の調査・撮影を許可していただいた所蔵者様に深く感謝申し上げます。


札幌市内の様子の写真

この3日間の札幌市の最高気温はマイナス4度。凍るような寒さでした。しかし晴天に恵まれ、訪問先の周辺でも降り積もった雪が太陽の光にキラキラ輝いていました。

中世史料の写真

貴重な中世文書が巻子(かんす)の状態で保存されています。世代を越えて大切に守り継がれてきました。

*巻子とは紙や布を横に長くつなげ、末端に軸をつけて巻き込むようにした書物のことです。

史料調査の様子の写真

1点1点の中世文書の内容を確認する岡村専門員。500年前の先人たちの声にじっと耳を傾けます。

活動日誌:2011(平成23)年12月

1日
中世史料調査(11月29日~12月3日、秋田県立公文書館・山形大学小白川図書館・東北大学附属図書館・仙台市博物館・新潟県県立歴史博物館、錦織委員・岡村)。
民具(倉吉千刃)調査(倉吉博物館、樫村)。
3日
県史編さん協力員(古文書解読)東部地区月例会(県立博物館、坂本)。
4日
県史編さん協力員(古文書解読)中・西部地区月例会(倉吉市・米子市、坂本)。
8日
民具(倉吉千刃)調査(倉吉博物館、樫村)。
14日
馬ノ山4号墳・北山古墳測量図現地校正(湯梨浜町、湯村)。
15日
出前講座(~16日、鳥取県関西本部交流室、岡村)。
民具(中海の藻葉採集用具)調査(松江市八束支所、樫村)。
16日
中世史料調査(大阪青山歴史文学博物館、秋山委員・岡村)。
19日
資料調査(~20日、国立公文書館、岸本委員・清水・大川)。
古郡家1号墳発掘参加者からの聞き取り調査(米子市埋蔵文化センター、湯村)。
20日
遺物借用(鳥取市埋蔵文化財センター、湯村)。
21日
出前講座(鳥取市高齢者福祉センター、岡村)。
22日
民具(倉吉千刃)調査(倉吉博物館、樫村)。
向山6号墳測量図現地校正(倉吉市、湯村)。
26日
資料検討会(公文書館会議室、小山委員・清水)。
27日
資料返却(八頭町宮下、清水)。

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編集後記

 1月後半から雪の日が続いています。毎日、陰鬱な曇った空に覆われていますが、心が晴れる出来事がありました。鳥取県史ブックレット第10巻『鳥取藩の参勤交代』 が出来上がり、1月20日(金)から頒布が開始されたのです。ブックレット第1巻を刊行したのもつい最近のことのように感じますが、とうとう10巻という二桁になり一つの節目にきた感じがします。

 さて、山陰地方はまだしばらく雪とおつきあいの日々が続きますが、暖かい部屋で手軽なブックレットなどで読書にふけるのもいいかもしれません。

(樫村)

  

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